御末社

土師家天満宮

【はじけてんまんぐう】

御祭神 菅原道真公の本姓たる土師氏に因むことから、技芸学問を司る神であることに加え、麻疹及び疱瘡病等にも霊験灼たかにして祈願すれば必ず病いは軽く平癒すると言い伝えられた。安永より享和(西暦1772〜1804年)を通じ明治初年頃まで郷の近住は勿論、遠く津々浦々より尋ね来て祈る者は昼夜を問わず、社頭は群衆で賑わい、昔は境内に茶屋等も建ち並び、多くの参拝者の出入りが絶えなかったという。土師家をハシカと読み換えて麻疹の恢復を願う者があったとの説もある。

宇田川出世弁財天

【うだがわしゅっせべんざいてん】

宇田川は道玄坂下で渋谷川と合流している。合流点近くの宇田川河畔に、江戸の頃より枝ぶりも見事な松の木があった。ここは旅の者や荷を運ぶ農民達の憩いの場所で地蔵が一基あり、人々の信仰を集めていた。昭和五年十一月東京市は区画整理のため、この松を取り除く作業をさせたところ、関係者の中から負傷者が多く出て、“恐ろしい松” “ご神木” と騒がれた。そこで道玄坂の人々が弁財天と龍神の祠を造り、松と共に神南町にお祀りをした。松は移植したのち枯死したが、弁財天の効験はあらたかで、地元道玄坂町や近隣の人々から出世弁財天と崇められ信仰が盛んになった。戦災の後、旧国鉄用地内に遷されたが、昭和五十年当社境内に遷座された。 — 渋谷郷土研究会による由緒書より